シュウェットの家を宿代わりにしてから、既に五日が経とうとしていた。あばら家だったが、ストゥルカの手入れと掃除により、それなりの外観と内装になっていた。
 ストゥルカはユダに言いつけられた買い物をしていた。買わなくてはいけないものは、全て薬の材料だった。しかし、主要な材料だけではなく、言いつけられたものの中には違法な材料も混ざっていた。
 それらを買うためには、入り組んだ小路を通って人気の少ない裏通りへ向かわなくてはいけない。盗賊とごろつきの溜まり場である裏通りに行くのは気がひけたが、言いつけは守らねばならない。
 目的の店はすぐに見つかった。ひなびた駄菓子屋という風情で違法な材料を扱っているのだから、見かけは何もあてにならない。
 しかし、行った時間がよくなかった。そろそろ日が暮れそうな時間帯にそこへ向かったストゥルカは、店を出た帰りに屈強そうな男に声をかけられた。
「よォ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんみたいなガキがこんなとこで何やってんだァ?」
 下卑た笑い声をあげながら、男はじりじりと近づいてくる。近づく男を無視して、ストゥルカは帰り道を歩き出した。
 無視されても尚、男はストゥルカに話しかけながらついてきた。ストゥルカの歩みは今や小走りといった速度になっていた。
 ふと気づくと、ストゥルカは突き当たりに追い詰められていた。男の後ろから更に男たちがこちらにやってくる。
「捕まえたぜ、お嬢ちゃん。俺たちといいことしようなァ」
 男がストゥルカの腕を掴んだ。これからされることに思い至ったストゥルカは必死に抵抗をした。しかし、痩せたストゥルカの力で、男の手を振りほどくことはできず、彼女はずるずると引きずられていく。
 叫んで喚いて金切り声をあげても、誰も助けてはくれない。みんな知らぬふりをしながら好奇の目をちらりと向けていく。この街――レートフェルマークはそういうところなのだ。
(……ユダ様……)
 ストゥルカの脳裏に浮かぶ主人の姿。
(申し訳ありません……御言付けの時間に戻ることができません……)
 胸中で詫びて、ストゥルカは静かに目をとじた。もはや逃げられないことなのだと、彼女は悟ったのだ。

 言いつけた時間から既に半刻ほど過ぎた。苛立つユダは、テーブルを指でこんこんと叩く。一定のリズムで刻まれていた音は、急にぴたりとやんだ。
「……遅い」
 地の底から響いてくるような、低い声でユダは呟いた。その呟きを聞いた、シュウェットが振り向いて言った。
「ああ、ストゥルカならさっきガラの悪そうな男に囲まれて引きずられていったよ」
 能天気に言ったシュウェットをじろりと睨みつけ、ユダは答えた。
「……なぜそれを早く言わないのです」
「時間を過ぎてると気づかなくてね」
 けらけらとシュウェットは笑った。意地の悪い笑みだったが、ユダは気づかなかったようだ。シュウェットは自分を睨んでくるユダと視線を合わせて口を開いた。
「ストゥルカが傷物になってもあんたは構わないだろう? だってあいつは奴隷なんだから」
 一瞬、ユダの目が泳いだ。しかし、すぐに眉をひそめてシュウェットを睨みつける。彼は強い調子で吐き捨てた。
「確かに、あれがどうなろうと私は一向に構いませんが、自分の予定を乱されるのは大嫌いなんですよ」
 ユダの言葉を鼻で嗤ってから、真面目な表情を作ってシュウェットは言った。
「ストゥルカに自らあそこを脱出する力はない。長年の栄養不良による発育不全のせいだ。あの細腕であの男たちの力に立ち向かえはしないだろう」
 不快そうに眉をひそめたまま、ユダは返した。
「回りくどい。何が言いたいのです」
「ハ、わかってるくせによく言うよ」シュウェットは鼻を鳴らした。「これ以上、待ちたくないのならストゥルカをあんたが探しに行かなくてはならないってことさ」
 シュウェットの言葉を聞いて、ユダは嘲笑を浮かべた。
「なぜ、私があれを探さなくてはいけないのです。お前が行けばいいでしょう」
「そりゃもちろん行っても構わないさ。でも、あたしは享楽家だからね。楽しくて気持ちのいいことは好きなんだよ。むしろ更に待たせるかもしれないが、それでもいいのなら行ってくるとも」
 シュウェットの言葉を聞き、途端に苦々しい顔つきになったユダは下衆めと吐き捨ててから、足音荒く、その場から立ち去った。
 その後姿を見送りながら、素直じゃないねとシュウェットは笑った。

 ストゥルカと男たちは薄暗い荒れ果てた空き家に来ていた。むっと据えた臭いと、事後の臭いがして、ストゥルカは思わず眉をひそめた。
 男たちの目はぎらぎらと光っている。やっと見つけた獲物を逃がさんとばかりである。その様子を見て、ストゥルカは胸中で小さく溜息をついた。
 ストゥルカは強姦というものに抵抗はなかった。なぜならば、以前の主人が気に入った奴隷を無理やり犯すことを好んでいたからだ。毎晩のようにそれは行われていたため、もう慣れてしまった。
 ただ、嫌なのは長く時間がかかることである。ただでさえ指定された時間を過ぎているのだから、でき得る限り早く戻らなくてはいけない。以前の主人のような折檻ではないとはいえ、今の主人の折檻も痛い。
 彼女は折檻が怖かった。
「怖くて声も出ねえかァ? お嬢ちゃん」
 にやにやと嗤う男たちの中の一人が、ストゥルカの服を引き裂いた。男たちの目の前に、ストゥルカの肢体が露わになった。
 恥ずかしがることもせず、ストゥルカは男たちをじっと見つめた。冷めた氷のような視線だった。
 思っていた反応と違う反応をされて、男たちは内心戸惑った。しかし、ストゥルカの艶かしい白い肌を見ると、先ほどの戸惑いは跡形もなく消え去り、ストゥルカを地面に突き倒した。
 受身も取れず、ストゥルカはしたたかに背中を打ちつけ、息苦しさに咳き込んだ。そんな彼女の手足を、男はそれぞれ押さえつける。
 痩せぎすのストゥルカに、乳房と言えそうな膨らみは見当たらない。しかし、お構いなく男はストゥルカの胸辺りを揉み始める。
 ごりごりと骨を押されるような痛みにストゥルカは顔をしかめた。嫌そうに男を見上げる。男はストゥルカの表情を気にしていなかった。ただ自分のためだけに行為を行う。
 ストゥルカの桃色の乳首周辺に舌を這わせ始める。充分に舐めたかと思うと、次は乳首を直に舐め始めた。そして、おしゃぶりのように音を立てながら、男は彼女の乳首を吸う。
 気持ち悪くて、ストゥルカは眉をひそめた。男の醜悪な顔を見たくなくて、更に目をとじる。
 たったこれだけのことで男は興奮してきたらしい。自分も服を脱ぎ始めた。全裸になった男は彼女の上に馬乗りになって、再び彼女の乳首を吸い始める。
 ストゥルカの手足を押さえていた男たちも、彼女に逃げる意思がないことに気づくと、同じように全裸になった。そしてストゥルカのからだを思い思いに弄び始める。
 ただ、ストゥルカは全くの無関心だった。

 宿から出てきたユダは面倒くさいことになったと舌打ちをしながら、呪文を唱える。全くといっていいほど手がかりのないまま探したって、無駄に疲労するだけなのは自明の理である。ユダは無駄なことが大嫌いだった。
 あちこちに式を飛ばしてから、ユダはあてもなく歩き出した。静かなところにいたい。その気持ちからである。
 風景というものを気にせず、密度の濃い人の気配から遠ざかるように歩いていく。はっと気づくと、辛うじて廃屋にはなっていない、荒れ果てた住宅街へと出た。
 そのとき、ユダは住宅街のある一角でストゥルカの気配を感じた。同時に複数の気配も感じた。
 ユダは飛ばしていた式を戻すと、ストゥルカの気配のする方向へ向かって歩き出した。どうやら入り組んだ道らしいが、面倒くさがったユダは呪文を唱えて、目の前のものを破壊しながら直線状に進んでいく。
 ストゥルカの気配を一番強く感じる場所で立ち止まった。すると、そこには殆ど廃屋に近い空き家があった。先ほど感じたとおり、ストゥルカの他にも何人かの気配がある。
 ユダは空き家の扉に近づく。しかし、あまり物音はしない。少し訝しく思いつつも、ユダは扉を蹴破った。
 そこには数人の男と、その男たちに組み敷かれからだをいいように弄ばれているストゥルカの姿があった。
 闖入者に気づいたのはストゥルカだった。頭をユダの方に向け、ぱっちりと目をひらけた。彼女はユダの姿を認めて、泣き出しそうなほど表情を歪めると、もう一度目をとじた。
 そのとき、理由のわからない苛立ちを感じたユダは、ストゥルカに馬乗りになってる男の一人に向かって、炎弾を放った。
 男はあっという間に炎に包まれる。男の絶叫が響き渡り、残りの男たちは恐怖した表情を浮かべる。彼らはやっと闖入者に気づいた。
 肉の焦げる臭いが辺りに立て込める。火の粉がストゥルカの白い肌に散って、焦がしていく。
 男の一人が全裸のまま、ユダに殴りかかろうと走ってくる。肉弾戦は苦手だが、身のこなしだけは軽い。男をひらりと避けて、ユダは炎弾を当てる。音を立ててそれは燃え上がった。断末魔が響く。
 残る男はあと三人。男たちはユダを取り囲んだ。じりじりと間を詰めていく。一人が少し動き始めたのを合図に、男たちはユダに向かっていく。
 ユダは自分の周りを炎で覆った。ユダを殴ろうとした男たちの手が燃え上がる。絶叫が轟いて、男たちは火を消そうと手を振り回す。その滑稽な様子を見て、嘲笑を浮かべて、ユダは男たちを焼いていく。
 断末魔が消えたとき、残っているのは真っ白な肢体に所々黒い焦げを作っているストゥルカと、彼女を冷たく見下ろすユダだけだった。

誰に見られても、羞恥に心を動かされることはないだろうと思っていたストゥルカだったが、唯一見られたくないと思っていた人がいた。来るはずもないし大丈夫だと安心もしていた。
 しかし、彼――ユダはやって来た。苛立ちを全身にまとわせて、面倒くさそうに。
 ユダが男たちを焼き殺したおかげで、辺りには肉の焦げた臭いと脂の臭いが充満している。
 先ほどから身じろぎひとつ、呻き声ひとつあげず、ストゥルカは裸体で横たわっていた。彼女の頭の中は悲しみと羞恥で、胸の中は絶望でいっぱいだった。ユダは何も言わずにただ彼女を見下ろしている。
 しばらく時が過ぎてから、ようやくストゥルカは身を起こした。動くたびに、あちこちの焼けた皮膚がつっぱって痛い。身を起こした彼女は、姿勢を正し、額を地につける。
「……申し訳ありません……御言付けを破ってしまいました……」
 蚊の泣くような声で、絶え絶えにストゥルカは詫びた。ユダからの返答はない。地面を見つめるストゥルカの耳に、衣擦れの音が入った。
 折檻をされるのだと彼女は目をつむって体をこわばらせる。しかし、待てどもユダの足は振ってこない。恐る恐る目を開けると、ユダの靴が見えた。
 着ていなさいという言葉とともに、ストゥルカの上に布が被せられる。顔を上げたストゥルカに、ユダは更に言葉をかけた。珍しいやわい声音だった。
「火傷した箇所はあとで治して差し上げます。さあ、早くそれを着なさい」
 ストゥルカに被せられていたのは、いつもユダが見にまとっている外套だった。それを抱きしめ、着ることに逡巡しているとストゥルカに、ユダが早く着なさいと尖った調子で言った。
「……ありがとう、ございます……」
 つぶやくように言って、ストゥルカは袖に腕を通した。まだ、ユダの体温が残っているのか、それはほんのりと暖かかった。少しだけ泣きそうになったストゥルカは、浮かんだ涙を掌で拭った。
 ストゥルカの涙のわけを火傷の痛みのせいだと誤解したユダは、痛みますかと彼女に声をかけた。いいえ、大丈夫ですとストゥルカは首を振った。
 ユダはストゥルカに向かって手を差し出した。ぽかんとした表情でストゥルカはユダを見上げる。手を、と促されて、やっと彼女はユダの手に自分の掌を重ねた。
 彼女の手を握り、引っ張って彼女を立たせる。そしてユダは、ストゥルカの手を握ったまま歩き出した。

 宿への帰り道、始終ふたりは無言だった。主従の関係であるというのもひとつの要因だったが、元より、ふたりともおしゃべりというものが好きでなかったのが大きい。
 ふたりを出迎えたシュウェットは、入れ違いに宿を出て行った。彼女なりの気遣いから出た行動である。
 ストゥルカを自分の部屋へと連れてきたユダは、着ていた外套を脱ぐように命じた。ストゥルカは脱いで丁寧にそれを畳む。
 再び、ストゥルカの肢体があらわになった。ユダは彼女の腕にあった焦げた皮膚を指でなぞった。すると見る見るうちに、茶色く変色していた皮膚が白色へと戻っていく。
 顔、腕、胸、腹、脚……全てに火の粉はかかったらしい。変色した火傷は斑模様のように点々とある。
 ユダの指がストゥルカの肌を滑っていく。ふと、ユダの指が止まった。そこには赤い印があった。塗り消すかのようにユダはそこを撫でた。火傷と同じように、赤は白へと戻っていく。
 薄暗い部屋でも彼女の真っ白な肢体は内から光を発しているかのように輝いていた。
 全ての火傷を治し終えたユダは、自分を気遣い部屋から立ち去ろうとしたストゥルカを無意識に呼び止めていた。
 彼女は足を止めて、振り向く。ユダはこちらを見ているようで見ていなかった。どこか遠いところを見ているようだった。そのユダの様子を少し訝りつつも、彼女は声をかけた。
「何か……御用でしょうか、ユダ様……」
 ストゥルカの言葉に我に返ったように、ユダは少し目を見開いた。すぐに目を伏せて言った。
「いえ……なんでもありません。下がりなさい」
「かしこまりました。……治療していただき、ありがとうございます、ユダ様……」
 一礼をしてストゥルカは部屋を出て行った。その後姿を見送って、ユダは溜息をついた。ストゥルカに対してではなく、自分に対してである。今、自分は何をしようとしていたのだろうか。
 ありえないと首を振る。きっと何かの間違いだ。何かの気の迷いだった。それだけのことだと、自らに言い聞かせる。もっとふれていたいと思ったのは、気のせいなのだと。
 しかし、ユダの中でストゥルカはただの奴隷ではなくなってしまっていた。自分の気持ちの変化に彼は気づいていない。ユダが自分の気持ちの変化に気づいたのはただ一点のみ。醜いと思っていた彼女が、思っていたよりうつくしかったことを知ったということのみであった。
 ストゥルカに貸していた外套を壁にかけて、ユダはベッドに横になる。疲れたのか、そのまま彼は寝入ってしまっていた。

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