ルヴィリアは羽ペンを持っていた手を止めると、軽く息をついた。もう三時間ほどはぶっ続けで、書類と戦っているというのに、処理せねばならない書類は机の上にまだ山のように積まれている。
「お疲れ様です、ルヴィリアさん」
 不意に声をかけられて、ルヴィリアは反射的に拳を握り締め、持っていた羽ペンを折ってしまった。恐る恐る声の方へ振り向いた。声の主の姿を認めると、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「……アベラルド」
「驚かせたみたいですみません」
 アベラルドと呼ばれた青年は申し訳なさそうに眉を八の字にすると、持っていたティーカップを彼女の机の上に置いた。カップから芳醇な香りが漂ってくる。
「丁度よかった。一休みしませんかと声をかけるつもりだったんです」
 ルヴィリアは張り詰めさせていた表情を緩めた。控えめな笑みを浮かべると、
「ああ、頂くよ。ありがとう、アベラルド」
 そう言いながらティーカップを手に取った。彼は彼女の礼に笑みで応じると、近くの椅子に座った。
 湯気の立つ紅茶をゆっくりと啜る。仄かな甘みが口内に広がる。今回、彼が淹れてくれたのは、アールグレイのようだ。ルヴィリアが好む銘柄だ。
「ルヴィリアさん」アベラルドが口を開いた。彼は慈愛と気づかいに満ちた眼差しを彼女に送っている。「お父上にあんなことがあって、急いてしまう気持ちは当然のこと。ですが、根を詰めて倒れてしまっては元も子もありません。どうかご自愛ください」
 カップの中身を飲み切って、ルヴィリアはソーサーにカップを置く。
「気づかい、礼を言う。……だが、せねばならぬことは山のように残っている」ルヴィリアは引き出しから新しい羽ペンを取り出した。「私はせめて、友人の遺跡探索の邪魔をせぬようにせねばならない」
 困ったように眉を八の字にするとアベラルドは苦笑を浮かべた。彼は立ち上がると、ルヴィリアの机の上に積まれた書類の山を一山、自分の近くへと移動させる。
「あっ、お前、何を――」
 咎めようとした彼女の言葉を遮るように、彼は言った。
「次期公爵として、政務補佐は何度もしたことがあります。どうかお手伝いさせてください」
 曲がりなりにも賓客として来ている者に、領内の雑事の処理の手伝いを頼むなど、我が伯爵家の名折れ。ルヴィリアは強い抵抗を覚えたが、確かに二人でこなした方が早く終わるのも事実。面子と合理、どちらを取るか悩んで、ルヴィリアは合理を取った。
「遺跡探索といい、執務といい、私はお前に甘えてばかりだな……」
 小さく溜息をつくルヴィリアに、アベラルドは穏やかな微笑みを返した。
「あなたの助けになれるのなら、何でも仰ってください」
「何でそんなに、よくしてくれるんだ」ルヴィリアは目を伏せた。「今の私に、お前に返してやれるものはない……」
「あなたが僕にとって大切な人だからですよ」
 そう言って、アベラルドは微笑んだ。はっと顔を上げて驚いたように目を見開いていたルヴィリアの顔が、見る見るうちに赤くなる。真っ赤に熟れた林檎のような顔色になった頃、彼女はとうとう机に突っ伏してしまった。

(2023.10.10)

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